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江馬細香の2つの印「細香」「湘夢」
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頼山陽「日本外史」江馬細香・自筆(直筆)を出品 | |
商品説明 | 隷書体「日本外史」自筆には、「江馬細香」の落款である「湘夢」の押捺、江馬細香の草書体の花押、及び三巻の巻物の「日本外史」原本を収納していた「桐箱」の中の付箋には、「細香之書、文政十年(1827)三月二十七日、頼先生から譲受(ゆずりうく)」と記されている。この字を記したのは、仙台藩医・大槻磐渓である。磐渓の父・大槻玄沢(仙台藩医)は杉田玄白の筆頭弟子である。玄沢は、江馬細香の父・江馬蘭斎の上司であった。 「日本外史」は本来、二十二巻から構成される冊子本であるが、出品した自筆の体裁は、一巻から七巻までを長尺の一巻の「巻物」として、合計三巻の「巻物」となっている。そして、本来冒頭にあるはずの「序文」が末尾に表装されている。序文に記載されている日付は、文政十年(1827)五月二十一日である。このため、本自筆は松平定信へ献上する前の完成していない「書きかけ」途中の「日本外史」であることがわかる。 この自筆は、大垣藩の藩医・江馬蘭斎の娘で頼山陽の弟子・江馬細香の旧所蔵「日本外史」を頼山陽と親交があり、また尊敬をしていた仙台藩の大槻磐渓が譲り受けた「隷書体」の貴重な自筆です。(所蔵経緯の詳細は下記説明欄に記載)。出品して「日本外史」自筆は、隷書体による「日本外史」として初めてのものであり、貴重な隷書体の書として身近なものとして鑑賞することができます。 |
自筆 | 自筆切の稀少価値は、和紙の生成技法の緻密さにあります。上の「拡大断層(MRI)写真」でわかる通り、極めて薄い和紙の上に墨の文字がくっきりと浮き上がるように「日本外史」の文字が記されております。 出品している書の「断層(MRI)写真」の原板は、レントゲン写真と同じ新聞の半分ほどの大きさのフィルムです。落札後には、見やすいようにA4サイズの「光沢紙」に転写し交付いたします。肉眼では見ることのできない和紙の繊維の一本一本のミクロの世界を見ることができます。日本国内では医療用以外には見ることのできない書の「断層(MRI)写真」です。江戸時代の和本「田舎荘子」全4巻、江戸中期の滑稽本、著者は佚斎樗山。新居帖 全4冊◆頼山陽、桃花庵、明治9年/u167。欧州大戦史の研究・11冊/陸軍大将杉山元/昭和12年/石田保政が七年有余に至る陸軍大学校在職間心血を打込んで講義した欧州大戦史一部の収録。C61-063 大岡仁政録 八 九 全体的に汚れ・折れ多数有り レトロ。二大漢籍国字解 全12冊揃/早稲田大学出版部/92823。f24022101〇古文書 村庄屋 名主 約140年間の記録資料 田方名寄帳 元文5年(1740)~明治10年迄 (1877) 井草宿 埼玉県比企郡川島町。清水了随纂輯『油断大敵 一名心のせめ 全』明治12年 思誠堂蔵版/うさぎ屋誠刊 狂歌集 明治時代ボール表紙本。古文書 太政官日誌 明治2年 第11号~17号 7冊まとめて。古文書 希少『大臣関白状』『二条政関白』室町時代 二条正嗣 肉筆 公卿 関白 太政大臣 祭り事 皇室 神事時代物唐本唐物政事古書古筆古美術。扶桑蒙求 岸鳳質 天保14年 李澣 幼学書 寺子屋 尋常小学校 世話千字文 和漢朗詠集 検) 戦前明治大正古書和書古文書写本古本 NY。Y3B3-240517 レア[千字文]。大森慧範『満鮮旅行録 完』昭和13年刊 神奈川県南足柄市の曹洞宗寺院「長泉院」前住職・大森慧範が満洲国・朝鮮を謳った紀行漢詩集。[R0419-020] 増補名物錦繍類纂 着物 デザイン 図集 明石染人 狩野秀峯 平安堂 京都。当方、先祖代々受け継がれ曽祖父蔵にて保管 毛利 古文書 書状。けいせい恋飛脚 傾城恋飛脚 安永2年 菅専助・若竹笛躬 浄瑠璃歌舞伎 近松門左衛門 江戸時代 検) 古書和書古本和本古文書写本 NT。導水瑣言 岸田吟香自筆書寫本(二五歳) 楽善堂主人寫 安政五年春三月寫。矢谷房子編『婦女手紙の文』明治37年文陽堂刊 明治時代和本 女性向け書簡例文集。1925年 初拓 張猛龍碑 検: 碑帖 拓本 墨拓片 原拓 漢碑刻 法帖 北魏碑 珂羅版 支那 法書道 善本 篆刻 印譜 唐本 漢籍 王羲之 石門頌 羅振玉。小堀遠州自筆書状幅 永井尚政宛。和本「毛詩鄭箋標註・詩經古註標註」全20巻合本5冊揃 天明6年(1786) 江都東山先生/訂正 中国最古の詩篇 儒教 経典 (江戸。竹久夢二木版画装『弘田龍太郎作曲 童謡小曲選集』(16冊セット=第1~16集)昭和2-7年 京文社刊。葛飾北斎絵「三七全伝南柯夢」曲亭馬琴/滝沢馬琴 著 鶴声社 明治17年 表紙裏に木版口絵入り 81丁 ☆和本読本戯作 B24yn。富岡鉄斎題字『能楽装束文様大観』彩色木版画12枚入 明治時代末に刊行された能装束作品集 お能。HH-6980 ■送料込■ 鼇頭梵和直釈 阿弥陀経図説 極楽 全2冊揃え 明治20年 仏教 木版画 絵入り 和書 本 古本 古書 古文書 /くJYら。尾張志・8冊/尾張藩最初の藩撰地誌・張州府志をもとに国号・御城・郭内外市井・産物・神社・城跡・川橋・人物・寺院・古跡などを収録。劉向列女伝。村田峰次郎編「長周叢書」12冊セット 明治24-25年 稲垣常三郎刊 明治時代和本(和装活字本)防長関係文献 周防国 長門国 山口県郷土史料。ジャングルブック 菊地寬編。五本亭万羽編『八雲拾遺 高根五歌仙 全』文化9年序刊 江戸時代和本 俳諧書 俳書 俳句 成田蒼句収載。1947年 初版 江戸建築叢話 検索:江戸城 諸門 城門 大岡越前守 奉行所 職制 絵図 絵本 製図 藍図 江戸橋 品川宿 遊郭 女郎 花街 外郎屋 茶屋。井沢蟠龍『続本朝俗説弁』(全3冊揃)寛永5年 茨木多左衛門開板 江戸時代和本 肥後熊本藩士で山崎闇斎に師事した神道家・国学者。渡辺直之編『新撰はうた部類』明治14年丸山幸次郎刊 俗謡 端唄歌詞集 明治時代和本。日本上代の甲冑/末永雅雄/昭和19年/古墳出土の甲冑の資料の復原研究を行いその実態たる甲冑の推移過程を考へ考古學上の位置を正そうとした。ykbd/220527/p60/A/100★古書 詩書古伝 1~34巻 12冊 太宰弥右衛門(春台) 嵩山房 宝暦8年。一品経和歌懐紙・2冊/佐々木信綱/昭和14年/ここに印行せる一品經和歌懷紙は二首懐紙にして一首は法華經の各品を分ち一首は述懐を題とせり。1907年 近松世話浄瑠璃詳解 検索:時代物 世話物 歌舞伎 平安堂 巣林子 不移山人 人形劇流派 義太夫節 河東節 一中節 常磐津節 富本節清元節。学問ノススメ 九編。送料込み、1790年,江戸時代の家庭の医学の和本「広恵済急方」全3巻、1巻少し糸ほつれ。挿絵数十有。外国での展示に際し、上記「NIKHON GAISI」の表記ではなく、日本の国外における表記に準じ、「NIHON GAISHI」と表記。アーネスト・サトウは、明治5、6年頃「The Japan Mail」に「日本外史」の英訳を載せている。そのノートは、ケンブリッジ大学アストン文庫に残っている。 出品した「日本外史」の書は、小さな断片です。このような断片を「古切」という。頼山陽の自筆原本の多くは、頼家のある広島市が昭和20年の原爆投下によってその大半が焼失したため、爾来、出品者宅においても厳重に保管されていた。「日本外史」は、元来、大槻磐渓の書として冊子や巻子(かんす)で伝えられたものが、鑑賞用として「茶人」の好みにより「掛軸」、或いは屏風に仕立てられ茶道具として用いられた。なお、自筆を断片化することを「古切」という。 国内における所蔵先等 出品作品と同じ「日本外史」の写本は、国立国会図書館(村瀬秋水・写)、東京大学、京都大学、大阪府(1冊のみ)など8箇所に現存。「国書総目録」第6巻379頁(岩波書店・刊)出品作品は、所蔵経緯、来歴が明確であるため極めて希少価値が高い。ただし、いずれも「真書体」「楷書体」で、「隷書体」の「日本外史」自筆は、本出品の自筆は日本国内でただ1部現存するのみ。 |
江馬細香の自筆について | 1・筆跡の分析と筆者の特定について 自筆は昭和39年以来アメリカの大学で分析され以後アメリカ国内で展示が継続されていた。一部が日本に戻り後の大半はまだアメリカで展示されております。自筆には、「江馬細香」の落款である「湘夢」の押捺、自筆署名の花押、及び三巻の巻物の「日本外史」原本を収納していた「桐箱」の中の付箋には、「細香之書、文政十年(1827)三月二十七日、頼先生から譲受」と記されている。この字を記したのは、仙台藩医・大槻磐渓である。磐渓の父・大槻玄沢は杉田玄白の筆頭弟子である江馬細香の父・江馬蘭斎の上司であった。 蘭斎は、江戸での学業を途中で打切り大垣藩の藩医となる。大垣藩で蘭医として名声の上がっている江馬蘭斎の許を頼山陽が訪れ蘭斎の娘・江馬細香に求婚するが父・蘭斎が断る。若い頼山陽の貧しさを父・蘭斎が嫌ったことが原因である。しかし、細香は頭脳明晰で漢文や詩文をこよなく愛し、その後頼山陽に弟子入りしている。 頼山陽は、早い時期から「日本外史」を書き始め、文化2年(1805)年3月20日の「大槻子縄(仙台藩学頭)に与ふる書」の中で「日本外史」を起草していることを示している。「日本外史」は「文政十年(1827)五月二十一日付」で白河藩主・松平定信に献上したものだが、献上以前に並行して仙台藩からも求められ頼山陽が弟子の江馬細香に写させていたと推定されている。 白河藩主・松平定信の献上の二ケ月前に大槻磐渓に渡されたのは、大槻磐渓の父・玄沢が病床にあったことが関係しているという説、及び白河藩より仙台藩の方が大藩であったことと、頼山陽が仙台藩から援助を受けていたことも関係しているとの説もある。また、大槻磐渓は、文政十年(1827)より以前に序文のない下書の「日本外史」を入手し「楷書体」による写しを進め、後年、前記の通り、磐渓の父の弟子である緒方洪庵に渡っていることがわかっている。 2・「江馬細香の自筆とアメリカの基準について」 ①・自筆は「女文字」であり、同時に上記、細香自筆の草書体の花押、落款、及び来歴から日本国内的では「江馬細香・自筆」とされていた。しかし、アメリカでの展示に際しては、科学的な筆跡全体の照合が条件として追加される。日本的な鑑定人による視覚による主観的な分析ではなく、科学的な解析手法である「ドーバート基準」による筆跡の分析、すなわち、江馬細香の「隷書体」自筆との照合であるが、細香は「湘夢遺稿」など多くの自筆文を残しているがいずれも「行書体」「草書体」で「隷書体」の自筆文は現存していない。このため、細香の他の隷書体の文字との照合ができないため、海外展示に際し、「江馬細香・旧所蔵」とし、「Ema Saikou・Autograph(江馬細香・自筆)」とはしていなかった。(2015年1月迄) その後のコンピュータ分析の精度向上の結果、江馬細香の「草書体」の文字と「隷書体」の文字情報を高速度で分析した結果、自筆は「江馬細香・自筆」であると解析された(分析法は下記②の欄)。この結果、「江馬細香・自筆」と説明欄に追記した。 ②・自筆の筆者の識別方法について 国内における鑑定人は、自筆の筆者を識別するために、個々の文字ごとに字画線の交叉する位置や角度や位置など、組み合わせられた字画線間に見られる関係性によって、個人癖の特徴を見出して識別する方法、また個々の文字における、画線の長辺、湾曲度、直線性や断続の状態、点画の形態などに見られる筆跡の特徴によって識別する方法、そして、書の勢い、速さ、力加減、滑らかさ、などの筆勢によって識別する方法が一般的な手法です。 一方、欧米では一般的には、「筆者識別(Handwriting Analysis)」と呼ばれる文字解析をコンピューターの数値によって解析しております。数値解析は、文字の筆順に従いX、Y座標を読み、そのX、Y座標をコンピューターへ入力後、コンピューターによって多変量解析を行うものです。解析の基準となるのが「ドーバート基準」で、アメリカでは日本国内の画像データを自動的に収集、自筆の分析に際し、数値データをコンピューターで自動的に解析し「極似」した画像データによって筆者を識別する研究が進んでおります。 ③・筆跡について 欧米では、筆跡の細部を検証するには人間の目ではなく、指紋の照合と同様アメリカではコンピューターが利用されております。資料として断層画像写真を出品欄に掲示しております。落札後の額縁裏面には説明文として、「Nihon Gaishi・1827 Ema Saikou・Autograph」との表記されております。 上記英文の日本語訳は、「日本外史・1827 江馬細香・自筆」 出品に際しては、アメリカの基準に準拠し説明欄に記載している。 |
13代将軍徳川家定の正室・篤姫と「日本外史」の関係 | 「日本外史」は第13代将軍徳川家定の正室の決定に大きな影響を与えたことが知られている。13代将軍家定の正室候補にあげられていた薩摩藩主・島津斉彬の娘・篤姫は老中たちの強い反対に遭遇していた。 徳川将軍家の正室は京都の公卿筋から選ぶべきだとの意見があり、その反対論を一蹴したのが「日本外史」であった。安政元年の春、薩摩藩江戸屋敷に水戸斉昭、山内豊信、伊達宗盛、松平春嶽などの幕府老中たちが薩摩藩主・島津斉彬を囲み「花見の宴」を開いていた。宴の目的は島津斉彬の娘・篤姫が将軍の正室にふさわしいかどうかを老中たちが見定めるためである。老中たちへの挨拶に訪れた篤姫に対し、水戸斉昭が篤姫の愛読書「日本外史」について質問する。篤姫は正確に受け答えをし、老中たちは篤姫のその読書量と理解の明晰さに感動したという。老中諸侯の反対論が一蹴されたことはいうまでもない。「日本外史」をきっかけにその場にいた老中たち全員が正室入輿の推進者となったと言われている。 水戸斉昭や伊達宗盛はこの時の様子を日記に記し、また篤姫の正室入りに最も強く反対していた福井藩主・松平春嶽は「斉彬公行状記」の中でこの時の篤姫の様子を「聡明にして温和、人との応接も機智に富み、学問(日本外史)深し。かくなる姫を御台所(正室)に迎えるは徳川家にとっても幸福というべきなり」と記している。その後、日本国内で「日本外史」を理解する篤学の女性として「東の篤姫、西の細香」とまで言われた。江戸時代の和本「阿蘭陀国条約並税則・日蘭修好通商条約」全1巻、金幸堂、綴じほつれ有、安政五カ国条約、不平等条約。東里山人作 歌川英泉画『出謗題無智哉論 三篇』文政8年岩戸屋喜三郎版 江戸時代和本 浮世絵・錦絵。老子形気。長谷川伸旧蔵書 長尾半平『鴻爪所感』昭和7年 秋水社刊 著者直筆献呈署名入(長谷川伸宛)。山々亭有人著『花暦封じ文 三編』人情本 彩色木版画入 江戸時代和本 絵入本 浮世絵 ベストセラーランキングです近くの売り場の商品カスタマーレビューオススメ度 4.5点 現在、3445件のレビューが投稿されています。 |
「日本外史・巻四」は、鎌倉幕府2代執権「北条義時」を中心に記しております。
隷書体による「日本外史」江馬細香・自筆
自筆下部に江馬細香の落款(印譜)「細香」と「湘夢」がある。2つとも細香の落款
自筆上部に緒方洪庵の所蔵を示す「適々齋」の落款(印譜)がある。
(自筆の凹凸はストロボの反射によるものです。)
「額縁入自筆原本」
上記額は、海外展示の際に用いられた額です。
「自筆原本」
原本下部の2つの印は、江馬細香の「細香・湘夢」の落款。上は、緒方洪庵の「滴々斎」の落款。
《江馬細香・自筆「日本外史」北条記》
原本の来歴及び国内所蔵数については下記に記載
海外展示に際し、断層写真により分析されております。原本を分析・解析するために海外の研究機関において「断層(MRI)写真」撮影等による新技術による分析・検査・証明が行われた後、一般の展示に付されたものです。
出品した自筆は、アメリカで撮影された下記「断層(MRI)写真」においてわかる通り、微細な曲線をも精緻に描いた極めて美しい芸術性の高い日本語の優れた文字としても高い評価を受けております。上から3番目の写真は、科学的で客観的な分析データを重視するアメリカの航空宇宙局(NASA)の技術による「断層(MRI)写真」です。「断層(MRI)写真」によって、古切の書の詳細を知ることができます。NASA(アメリカ航空宇宙局)の優れた技術である「断層(MRI)写真」撮影を通して、日本の優れた伝統技術をアメリカ国内において広く知らせているものです。
《日本外史 巻之四 源氏後記 北条氏》
《被親信》・・・如初。賴朝忌弟義經勇智。謀除之。文治元年。冬。親將之京師。義經奔竄。
賴朝途還。遣時政。以千餘騎護京師。四索不獲。於是以賴朝意奉請。諸國司置守護。
莊園置地頭。所在追捕。弗被允。時政抗辨再三。終被允。自爲七國地頭。已而辭之。
當是時。大亂初平。京畿多事。時政身當其衝。事無不立辨。餘東歸。
以詔擧從弟時定自代。亦賴朝意也。賴朝嘗獵富士野賴家甫十二。射中走鹿。
賴朝大喜。使人報之政子。政子曰。彼將家冑子。獲一禽。何煩專使。賴朝愧之。
正治元年。正月。賴朝伏。賴家立。政子削髮爲尼。而與聞政事。時・・・・《政敍從五位下》
漢文の文責・出品者
注記・漢字が難字(旧字)の場合、システムの関係でエラーとなり画像に反映されない場合があります。その場合、空白となりますが落札の際に出力文を交付いたします。「原文の読み下し文」と「現代語訳解読文」は、漢文の文字(難字・旧字)を正確に反映しております。
《日本外史 巻之四 源氏後記 北条氏》
初めの如し。頼朝(よりとも)、弟義経(よしつね) の勇智を忌み、之を除かんと謀る。
文治元年 (1185)冬、親ら将として之を京師に撃たんとす。義経(よしつね) 奔鼠す。
頼朝 途にして還る。時政(ときまさ) を遣し、千余騎を以て京師を護らしむ。
四もに索むれども獲ず。是に於て、頼朝の意を以て、奏して諸国司に守護を置き、
荘園に地頭を置きて、所在追捕せんことを請う。允されず。
時政(ときまさ)、抗弁すること再三にしで、終に允され、自ら七国の地頭と為る。
已にして之を辞す。此の時に当り、大乱初めて平ぎ、京畿多事なり。
時政(ときまさ)、身、其の衝に当り、事立ちどころに弁ぜざる無し。
歳余にして東帰す。詔を以て、從弟時定(ときさだ) を拳げて、自ら代らしむ。
亦頼朝(よりとも)の意なり。
頼朝(よりとも)、嘗て富士野に猟す。頼家(よりいえ) 甫めて十二、射て走鹿に中つ。
頼朝、大に喜び、人をして之を政子(まさこ) に報ぜしむ。
政子曰く、「彼は将家の冑子なり。一禽を獲たるに、何ぞ專使を煩さん」と。
頼朝(よりとも) 之を愧づ。
正治元年 (1199)正月、頼朝(よりとも)失す。頼家(よりいえ) 立つ。
政子(まさこ)、髪を削りて尼と為り、而して政事を与り聞く。
時・・・・《政(まさ)、従五位下に叙し)
漢文の読み下し文の文責・出品者
《日本外史 巻之四 源氏後記 北条氏》
《源頼朝、鎌倉に幕府を開く》
《源頼朝、義経追討の命令を出す》
《北条時政は、鎌倉に戻って来て、頼朝に親しみ
信頼されることが》・・・・初めの頃と同様であった。
頼朝は、弟義経の智勇を忌み嫌い、これを除こうと謀った。
文治元年(1185年)冬、自ら将として京師で義経を撃とうした。
義経は、逃げ隠れた。頼朝は、途中で引き返し、時政を遣わし、
千余騎を率いて京師を護らせて、そして四方を捜索したが、義経を捕まえられなかった。
そこで、時政は、頼朝の意向を朝廷に上奏して、諸々の朝廷の土地に守護を置き、
諸々の荘園に地頭を置き、各地で守護・地頭が盗賊・謀反人を追補(ついぶ)することを請うた。
だが、許されなかった。時政は、朝廷に再三抗弁して、
とうとう守護・地頭を置くことが許されて、自ら七ヶ国の地頭となった。
その内に、時政は、これを辞職した。
この当時、保元平治以来の大乱が初めて平定して、京師畿内に多くの仕事が有った。
時政は、自ら重要な職務を引き受けて、あらゆる仕事を立ちどころに片付けた。
一年余りで関東へ帰った。詔を受けて、時政は、従弟(いとこ)の時貞を推挙して、
自らの代わりにしたが、これも頼朝の内意であった。
頼朝は、嘗て富士野で狩りをした。明治21年初刷。文事堂發兌。。法然説 洞空増註『難遂往生機并四障四機種種念仏往生機』貞享2年序 秋田屋五郎兵衛刊 江戸時代和本 仏教書 仏書 浄土宗開祖。「武井武雄 刊本作品友の会 頒布記念パーティー敷紙」25枚セット 1967-1983年作 木版画多数 豆本 懐紙。【戦前書籍/和装本】限定2000部 藤懸静也「浮世絵の研究」上中下3冊 昭和18年 雄山閣刊/岩佐又兵衛/師宣/鳥居流/遊女絵/絶版希少/貴重資料。元老・重臣・官僚・華族 野依秀市 秀文閣版 昭和9年11月発行 初版。古文書 書簡 五島耕畝 香山基宛て 封筒付き 茨城県 日立市 中里村 日本画 歴史資料 (レターパックライト発送)。新薬方鑑 リープライヒ 明治22年 医学 明治期江戸期 検)西洋医学医術蘭学漢方学薬学薬理学出産学薬剤学 戦前明治大正古書和書古本 NK。皇国開闢由来記・日本国開闢由来記・4冊/指漏漁者編・国芳画/絵入和本。北満風土雑記/三上次男/昭和13年/歴史考古民族等諸學の研究者に歡迎されることは勿諭一般讀者も北満跋?の雄圖が勃として胸裡に湧起する。御伝鈔演義 抜書 上中下揃 江戸時代 浄土真宗 親鸞 検)仏教仏陀浄土宗真言宗天台宗日蓮宗空海法然密教 戦前明治大正古書和書古文書古本 NT。1930年代中国 看板 招牌 幌子 検索:銭荘 当舗 図譜 藝姐 廣告牌 支那 茶館 戯院 酒楼 青楼 武館 作坊 租界 銀号 煙館 書局 薬舗 老照片賭館。中村正蔵『日本外史新論』(全2冊揃)明治16年 成美書堂(岐阜)明治時代和本 頼山陽。江戸時代 和書『磐溪小稿』 大槻清崇 紫薇園蔵 文政10年 1827年。影宋本 備急千金要方(千金方)孫思邈 医学書(複製)和綴じ本(和本)35冊揃 昭和49年 限定500部 タトウ箱 毎日新聞社 専門書 s22042403。楽翁 松平定信書幅。厩馬新論 卑牧子較評。【洛座】明清名家書法大成 全八巻 本 初版 1993 定価 126,000円 <古本 呉昌碩 王鐸。f24022007〇証印税金差出帳 能筆 明治新政府事業の一環新潟県が率先 地券証 新潟県 県令 楠本正隆 明治6年 越後国蒲原郡夏井村 現北蒲原郡。ビンテージ 当時物 修養全集 処世常識宝典 11 大日本雄辯會講談社 昭和四年発行 中外印刷 非売品 レトロ 希少書 アンティーク 古書。f240502004〇彩色木版画 広重 富士三十六景 東都佃沖 東京都中央区佃 アダチ版画研究所 昭和50年〇和本古書古文書。続近世畸人伝■和本■全5冊揃い■落丁なし■三熊花顛■伴蒿蹊■寛政10年(1798年)刊■続近世奇人伝。奥村玉蘭 筑前名所図会 全10冊 プラス解説本 家蔵本。f24050701〇東雅 新井白石 目録共全5冊 和装活字本 明治36年 日本語の辞書 語源解釈を主に扱う〇和本古書古文書。竹久夢二木版画装『中山晋平作曲 新作小学童謡』(2冊セット=第1,3編) 昭和2-3年 京文社刊。古文書 書簡 横山大観 書簡3通 宮坂捲雄宛 封筒付き 日本画 歴史資料 (レターパックライト発送)。岩垣松苗・菊池純(菊池三渓)編『国史略』(全十五冊揃)明治11-13年 藤井孫兵衛刊明治時代和本 日本史。f240502032〇彩色木版画 広重 富士三十六景 甲斐犬目峠 山梨県上野原市 アダチ版画研究所 昭和50年〇和本古書古文書。即決 天文暦学書、明治期和本1898~1912(明治30~45)年15冊合冊『太陽暦 略本暦 おばけ暦』八卦、卜占、陰陽師 、二十八宿、略本暦。獨鶴(知影)著 岡崎元軌序『独鶴詩集』(全2冊揃)文政7年刊 京都光隆寺の僧知影の漢詩集 江戸時代和本 本願寺派資料。即決1857年安政4年『仮題 鯰絵暦指南書』陰陽師アンティーク天文暦学書、暦指南、八卦、卜占、江戸期和本、 Planisphere, Celestial atlas。近世木活字本 渋井徳章記 近藤忠質訳『責而者艸 前編』(4冊=巻七~十)江戸時代和本 歴史随筆集 史書。当方、先祖代々受け継がれ曽祖父蔵にて保管 書状 小笠原 古文書 書状。書簡 小川芋銭 富取風堂宛て 古文書。光琳百図 亀田鵬斎序 谷文晁序 酒井抱一編 2冊 前編後編 博文館。軍事的に見た欧州情勢 昭15 日本外交協會秘密文書 ガリ版 旧日本軍 大日本帝國海軍太平洋戦争空軍海軍航空隊軍艦兵法戦自衛隊戦前NY。送料込み、1727年刊。
古切の書は、一旦表装を剥離し分析と鑑定検査のために「断層(MRI)写真撮影」をしております。撮影後、展示のために再表装をしております。掛軸や屏風にすることが可能なように、「Removable Paste(再剥離用糊)」を使用しているため、隷書体による自筆の書に影響をあたえずに、容易に「剥離」することができるような特殊な表装となっております。
1・自筆には、「江馬細香」の落款である「湘夢」の押捺、及び三巻の巻物の「日本外史」原本を収納していた「桐箱」の中の付箋には、「細香之書、文政十年(1827)三月二十七日、頼先生から譲受」と記されている。この字を記したのは、仙台藩医・大槻磐渓である。磐渓の父・大槻玄沢は杉田玄白の筆頭弟子である江馬細香の父・江馬蘭斎の上司であった。
頼山陽(1780~1832)は、文化11年(1814)35歳のおり、京都の医者であった小石元瑞(1784~1849)の養女・梨影(りえ)を妻に迎えている。頼山陽は、小石元瑞の患者でもあった。小石元瑞は、仙台藩の侍医・大槻玄沢(1757~1829)に師事していた関係で、玄沢の次男・大槻磐渓(1801~1878)とも親しくしている。二人の交流は、頼山陽及び大槻磐渓両人の日記や著書に記されている。頼山陽の文政10年(1827)3月27日の日記(頼山陽46歳)には、「雨、大槻磐渓来訪」と記され、翌3月28日の日記には、頼山陽、大槻磐渓、小石元瑞ら18名で「夜桜」見物をしていることが記されている。
磐渓は、頼山陽と「夜桜見物」にでかけた時のことを次のようにその日記に記している。
「二十八日、新晴、二賴(山陽と杏坪)及び諸氏に陪して平野に遊ぶ。・・・晩桜乱発、落片雪の如く繽紛地に敷く。乃ち榻を花下に移し、張飲一場、頽然、皆酔ふ。日暮に及び、花下の茶肆、各々数十の毬燈を以て之を枝に掛く。遠近映発して煌々昼の如し。」上記の通り、「桐箱」の中の付箋には、「細香之書、文政十年(1827)三月二十七日、頼先生から譲受」と記されていることから、頼山陽と会った日に「日本外史」自筆を受け取っていることがわかる。これは、大槻磐渓の個人的な依頼によるものではなく、仙台藩への献上品として前もって依頼し、この日に受け取っていることがわかる。金銭の授受は明記されていない。また、頼山陽が仙台藩への献上について記していないのは、前老中の松平定信への献上が約束されており、山陽の自筆文を松平定信の前に仙台藩に献上することに遠慮があったものと推定されている。
大槻磐渓は、持ち帰った「日本外史」を藩に献上する前に隷書体「日本外史」を元に格調高い文体で「日本外史」を写している。磐渓は、「日本外史」を手書きによって書き写したのは、尊敬する頼山陽の業績を自らの手で確認したいとの思惑があったのではないかと考えられる。
2・「緒方洪庵の旧所蔵」
自筆の一部には緒方洪庵の所蔵を示す「適々齋」の落款(印譜)がある。一部の自筆が緒方洪庵の手許に渡っていることがわかる。緒方洪庵は、大槻玄沢の弟子であることは広く知られている。緒方洪庵自身も一部を所蔵し、大切に読みこなしていたことをうかがい知ることができる。緒方洪庵は、大阪大学の前身・適塾を創設。洪庵は文化7年(1810)7月14日生~文久3年(1863)6月10日没。
「日本外史」の外国語訳版では、「NIKHON GAISI」V.M.Mendrin,1915,Vradivostok.があります。多紀元簡。。半化房(高桑闌更)『誹諧道志るへ』安永8年 須原屋茂兵衛他刊 江戸時代和本 俳諧書 俳書 俳句。横山蘭蝶(津田蘭蝶)『断香集』文政9年序 絳雪吟窩蔵版 漢詩集 江戸時代和本 金沢の女性漢詩人 石川県金沢市郷土資料 横山政孝 横山致堂。垤甘度爾列氏植物自然分科表 田中芳男譯。古文書●900年頃と江戸末期 有名人4人の書 菅原道真の書(孝教)に頼山陽の入手経過そして藤田東湖の署名と徳川斉昭の冒頭の書 230307。出世早合点 商人軍配記 五巻 江陵山人述。即決アンティーク百科事典江戸期和本1750(寛延3)年元刻(文久4)年4刻『永代節用無蓋藏』大雑書、類書、社寺仏閣、地理、漢字、花押、卜占。長谷川伸旧蔵書 矢部甚一郎『歌集 雪代集』昭和15年 かぐつち社刊(本郷区根津片町)。『新刃名鍛冶番附』安永7年 北奥甚助蔵版 元袋付 刀剣番付 日本刀資料 江戸時代和本 畳物一舗。写本 神武権衝録 慶應6年 江戸時代 神道 神社 仏教 儒教 天皇 真言宗 日本神話 検) 江戸期古書和書古本古文書 NS。1921年 初拓張猛龍碑 朱印多数 検: 碑帖 拓本 墨拓片 原拓 漢碑刻 法帖 北魏碑 墓誌銘 支那 法書道 善本 篆刻 印譜 唐本漢籍 珂羅版 玻璃版。近世禅林僧宝伝・3冊/相国寺心華院荻野独園撰/明治23年/荻野独園老師が延宝伝灯録・本朝高僧伝以降の臨済宗の禅僧等の伝記を撰したもの。HH-5284 ■送料無料■ 掌中官員録 明治8年 陸軍省 海軍省 琉球藩 他 政治家 名録 資料 和書 本 古本 古書 古文書 /くYUら。平林縫治・仲古谷津友吉・小野利世編 浪速短冊研究会同人跋『和歌の浦』限定300部 大正15年刊 古短冊集 宸翰から三遊亭圓朝まで。紙看板 定宿びぜんや藤五郎。百人一首。杉山貞治編 吉川長昌校『算法発蒙集』(全5巻5冊揃)寛文10年序刊 江戸時代和本 和算書 数学 算数。大石千引著 小山田与清序『野乃舎随筆』文政3年 耕文堂/伊勢屋忠左衛門刊 江戸時代和本 加藤千蔭に師事した国学者/歌人の随筆集。馬場信武『韻鏡諸鈔大成』(7冊セット=巻2~巻7)宝永2年 小倉八兵衛他刊 江戸時代和本 音韻論。当方、先祖代々受け継がれ曽祖父蔵にて保管 八条流馬書 清水忠安謹書 書状 古文書。墨子兵書 全四冊。@1926年 絵にしたる歴史の裏 田村孝之介 俳諧 俳文 浮世絵 漫画家 洋画家 大西孝之助 信濃橋洋画所 風景 裸婦 スケッチの技法 永田禎彌。[絵本] 太閤記 秀吉公一代記 明治32年 牧金之助★ko2.39。倭節用悉改袋増字◆古書 全1冊 俟野通尚 西川祐信 法橋西村中和 速水春暁斎 井上治兵衛 東都書林 浪華書林 皇都書林二鳩堂 文政元年-328。【除籍本/まとめ】樺島石梁遺文 全8巻セット 儒学/久留米藩/著作集/和本/古文本【2211-119】。写本/「寛政御造営之図」/詳細不明/大久保画本印あり/1冊。近代見聞善悪業報因縁集 2〜5巻 一叢軒露宿集選 ; 採璞校評 三都書林 天明8年(1788)☆和本 亡婦/怨/遊女の霊/殺生の業 B20yn。当方、先祖より代々受け継がれ曽祖父蔵にて保管 犬甘多宮 阿部軍兵衛 元文五七月 三重六物目録 古文書。関伝吉編『ころころ雑誌』(4冊)明治12年聚珍社刊(秋田県茶町)明治時代和本 文芸同人誌。◎送料無料◎蔵くら◎ お経 妙法蓮華経 巻第八 お経 仏教 ◎ 210909 M H100 仏壇 骨董 古玩 アンティーク レトロ。入江兼通(入江若水)『通俗両国誌』(全二十六巻二十冊揃)享保6年 蓍屋勘兵衛刊 江戸時代和本 中国史 読本 通俗両国志。怪文書「田中 犬養両内閣 罪悪一覧表」犬養毅 田中義一 野崎政助 渡辺正雄 選挙妨害 パンフレット【24-0326-8】。◆古書◆ 目でみる埼玉百年 埼玉百年記念誌 本 歴史 コレクション 昭和レトロ 昭和46年発行 埼玉県。道教 真経 妙経 肉筆写経 唐本漢籍 漢文 検索⇒古籍善本 支那 敦煌 彫版 刻経 玉扣 木刻本 筒子頁 殿本 書道 宣紙 白棉紙 清朝 経書経 在銘。長谷川伸旧蔵書 江風散士『正調安来節の踊り方と唄ひ方』大正10年 奥村久太郎(島根県松江市)民謡 俗謡。写本 喜多川義比口演『有機化学』明治26年 京都府立医学校(現・京都府立医科大学)有機化学講義録 京都府立医科大学附属病院薬剤部長。菅茶山著 木村渫庵校『筆のすさび』(全4冊揃)安政4年 太田屋六蔵他刊 江戸時代和本。写本『勧殖桑養蚕書外題・豊国書』文政8年 樋口雄貞誌(信濃國松島)江戸時代写本 長野県伊那地方養蚕業。※よろこびの春 宮路吉甫喜寿祝歌集 滋賀県蒲生郡中野村宮路直一(現東近江市) 姉小路良子・宮内省御歌所寄人良大口鯛二・須川信行等。古屋芳雄『民族淘汰論』岸田劉生・武者小路実篤らと交友した作家 国立公衆衛生院長をつとめた公衆衛生学者。ふり分かみ。岡山京橋御作事御書出留帳 松本済堅 享保辰八月 纏図。当方、先祖代々受け継がれ曽祖父蔵にて保管 三議一統 上 古文書。長谷川伸旧蔵書『大分聯隊区管内に於ける郷土戦史の研究 第1輯』昭和2年 帝国在郷軍人会大分支部刊(大分県大分市)戦国時代戦史。浅草吉原ほか地図多数・解説入 江戸の名所案内「再校江戸砂子」明和9年 菊岡沾涼 7冊☆千住湯島谷中四谷渋谷など和本江戸時代資料 B245yn。旅順駐留記念写真帖 第六中隊 大正時代。顕意『一乗海義要決 二道血脈図論 二本合冊』文政2年刊 江戸時代和本 浄土宗 仏教書 仏書 菩薩蔵頓教一乗海義要決。東洋閨範烈女伝。まくり 松村呉春。当方、先祖代々受け継がれ曽祖父蔵保管 馬書 古文書。送料込み、1859年版。後年、江馬細香の漢詩が掛軸となり茶の道具として用いられるようになるのは、こうした歴史的背景がある。
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