
納期目安:
06月08日頃のお届け予定です。
決済方法が、クレジット、代金引換の場合に限ります。その他の決済方法の場合はこちらをご確認ください。
※土・日・祝日の注文の場合や在庫状況によって、商品のお届けにお時間をいただく場合がございます。
不昧公の正室・方子と娘・玉映の落款
閉じる「上楼空望往来船」白氏文集の有名な漢詩
閉じる仙台藩医・木村寿禎の落款
閉じる玉鬘邸を訪れる薫の君(国宝・竹河Ⅰ)
閉じる玉鬘邸で碁を打つ姫君(国宝・竹河Ⅱ)
閉じる碁を打つ2人の姫君(大君・中の君)拡大
閉じる桜を愛でる2人の姫君(大君・中の君)拡大
閉じる玉鬘家系図
大炊御門宗氏・自筆「源氏物語」近衛基熙・旧所蔵(断簡)を出品 | ||||
商品説明(来歴) | 大炊御門宗氏・自筆「源氏物語」は、第107代後陽成天皇の曾孫・近衛基熙の旧所蔵である。■『白波五人男』神奈川縣平民・市川かめ翻刻。ボール表紙本。文事堂發兌。■御存知「歌舞伎十八番」の伊達男が勢揃い。近衛基熙は、「源氏物語」に造詣が深く、「源氏物語」の注釈書『一簣抄』(いっきしょう)を書いてある。法然説 洞空増註『難遂往生機并四障四機種種念仏往生機』貞享2年序 秋田屋五郎兵衛刊 江戸時代和本 仏教書 仏書 浄土宗開祖。出品した大炊御門宗氏・自筆「源氏物語」は、近衛基熙が研究のために収集し、のちに近衛家から出雲松江藩主・松平治郷(不昧公)の正室・方子(よりこ)に伝わり、方子の生家である仙台藩から同藩の藩医・木村寿禎に伝来していたものである。 | |||
漢詩文 | 原文上部に「上楼空望往来船」(楼に上りて空しく望む、往来の船)という漢詩文の落款が押捺されている。【戦前書籍/和装本】限定2000部 藤懸静也「浮世絵の研究」上中下3冊 昭和18年 雄山閣刊/岩佐又兵衛/師宣/鳥居流/遊女絵/絶版希少/貴重資料。この漢詩は「白楽天」に由来するものです。 源氏物語「竹河」原本に記されております。古文書 書簡 五島耕畝 香山基宛て 封筒付き 茨城県 日立市 中里村 日本画 歴史資料 (レターパックライト発送)。紫式部が「竹河」を書くに際し、「白氏文集」の漢詩を熟読したうえで「源氏物語」の「竹河の巻」を書いていることがわかります。この原詩の言葉の引用は、「竹河の巻」に用いられていることで広く知られている。皇国開闢由来記・日本国開闢由来記・4冊/指漏漁者編・国芳画/絵入和本。紫式部がこの原詩に親しんでいたと推定されている。 | |||
漢詩の落款の意味 | 原本上部の漢詩の落款は、「讃」と称されるもので、古来、掛軸の書画に第三者がお褒めの言葉を書き込むもので元々は自筆でした。御伝鈔演義 抜書 上中下揃 江戸時代 浄土真宗 親鸞 検)仏教仏陀浄土宗真言宗天台宗日蓮宗空海法然密教 戦前明治大正古書和書古文書古本 NT。貴族から始まり藩主、あるいは高名な茶人や僧侶が書かれて、それが茶会の「掛軸」に装丁されて披露されておりました。 特に出雲・松江藩などの茶道の盛んな大名家の所蔵する自筆などに「讃」が付され、後に自筆に代わり、石刻による「漢詩」の篆書が「讃」として用いられました。中村正蔵『日本外史新論』(全2冊揃)明治16年 成美書堂(岐阜)明治時代和本 頼山陽。 「茶事」は、「ヨーロッパの晩餐会(ばんさんかい)」とも言われます。晩餐会では、「ワインを楽しむために行われる」ところも似ています。影宋本 備急千金要方(千金方)孫思邈 医学書(複製)和綴じ本(和本)35冊揃 昭和49年 限定500部 タトウ箱 毎日新聞社 専門書 s22042403。とりわけ、茶室に入って行うことは、床の間の「掛け軸」(かけじく)を拝見(はいけん)することです。茶道では「掛け軸は最高のごちそう」といわれております。厩馬新論 卑牧子較評。とりわけ、漢詩の落款は、ただ、古典の漢詩を入れればいいという単純なものではなく、たとえば、「源氏物語」の場合、原本の中に込められている紫式部が考えた知識を読み解くことにあります。「讃」の中に有名な白楽天の漢詩を単純に落款として入れたのではなく、紫式部が原本の中に白楽天の漢詩を読み込んでいることを知ったうえで漢詩を選んでおります。f24022007〇証印税金差出帳 能筆 明治新政府事業の一環新潟県が率先 地券証 新潟県 県令 楠本正隆 明治6年 越後国蒲原郡夏井村 現北蒲原郡。 落款の「讃」の元になるその原文の個所には、 「上楼空望往来船」(楼に上りて空しく望む、往来の船)という漢詩文の落款が押捺されている。この漢詩は「白氏文集」に由来するものです。f240502004〇彩色木版画 広重 富士三十六景 東都佃沖 東京都中央区佃 アダチ版画研究所 昭和50年〇和本古書古文書。 つまり、原文の内容に関する漢詩の落款を押捺しているのは、茶会における床の間の「掛け軸」(かけじく)を拝見(はいけん)の際に、茶会を主催する亭主が、客に「最高のごちそう」を振る舞うために披露したものです。茶会の際に落款に記された由来を知った客が広くそのことを社会に広めたために結果的に、多くの茶会に開催される「最高のごちそう」として原文に関係する漢詩の落款を付したものです。奥村玉蘭 筑前名所図会 全10冊 プラス解説本 家蔵本。「落款」の漢詩の由来を待合において説明する際に、長い時間を要し、茶会における貴重な時間であったと推定されております。 | |||
自筆の希少価値について | 自筆の稀少価値は、和紙の生成技法の緻密さにあります。竹久夢二木版画装『中山晋平作曲 新作小学童謡』(2冊セット=第1,3編) 昭和2-3年 京文社刊。上の「拡大断層(MRI)写真」でわかる通り、極めて薄い和紙の上に墨の文字がくっきりと浮き上がるように「源氏物語」の文字が記されております。 出品している書の「断層(MRI)写真」の原板は、レントゲン写真と同じ新聞の半分ほどの大きさのフィルムです。岩垣松苗・菊池純(菊池三渓)編『国史略』(全十五冊揃)明治11-13年 藤井孫兵衛刊明治時代和本 日本史。肉眼では見ることのできない和紙の繊維の一本一本のミクロの世界を見ることができます。日本国内では医療用以外には見ることのできない書の「断層(MRI)写真」です。即決 天文暦学書、明治期和本1898~1912(明治30~45)年15冊合冊『太陽暦 略本暦 おばけ暦』八卦、卜占、陰陽師 、二十八宿、略本暦。 古切の書は、一旦表装を剥離し分析と鑑定検査のために「断層(MRI)写真撮影」をしております。撮影後、展示のために再表装をしております。即決1857年安政4年『仮題 鯰絵暦指南書』陰陽師アンティーク天文暦学書、暦指南、八卦、卜占、江戸期和本、 Planisphere, Celestial atlas。掛軸や屏風にすることが可能なように、「Removable Paste(再剥離用糊)」を使用しているため、自筆の書に影響をあたえずに、容易に「剥離」することができるような特殊な表装となっております。 | |||
断層(MRI)写真 | 従来、日本の古美術の鑑定の際の分析・解析は、エックス線写真、赤外写真、顕微鏡が中心です。当方、先祖代々受け継がれ曽祖父蔵にて保管 書状 小笠原 古文書 書状。一方、アメリカやイギリスでは研究が進み和紙の組成状況を精確に分析・解析をするために断層(MRI)写真が利用されており、今回の出品に際し、「断層(MRI)写真」を資料として出しました。本物を見分けるための欧米の進んだ分析・解析技術を見ることができます。光琳百図 亀田鵬斎序 谷文晁序 酒井抱一編 2冊 前編後編 博文館。 | |||
寸法 | 「源氏物語」自筆の大きさ タテ21.8センチ ヨコ12.8センチ。額縁の大きさは タテ37.0センチ ヨコ28.0センチです。送料込み、1727年刊。江戸時代の和本「田舎荘子」全4巻、江戸中期の滑稽本、著者は佚斎樗山。新居帖 全4冊◆頼山陽、桃花庵、明治9年/u167。 | |||
「源氏物語」の自筆について | 1・筆跡の分析について 国内における鑑定人は、自筆の筆者を識別するために、個々の文字ごとに字画線の交叉する位置や角度や位置など、組み合わせられた字画線間に見られる関係性によって、個人癖の特徴を見出して識別する方法、また個々の文字における、画線の長辺、湾曲度、直線性や断続の状態、点画の形態などに見られる筆跡の特徴によって識別する方法、そして、書の勢い、速さ、力加減、滑らかさ、などの筆勢によって識別する方法が一般的な手法です。欧州大戦史の研究・11冊/陸軍大将杉山元/昭和12年/石田保政が七年有余に至る陸軍大学校在職間心血を打込んで講義した欧州大戦史一部の収録。C61-063 大岡仁政録 八 九 全体的に汚れ・折れ多数有り レトロ。数値解析は、文字の筆順に従いX、Y座標を読み、そのX、Y座標をコンピューターへ入力後、コンピューターによって多変量解析を行うものです。二大漢籍国字解 全12冊揃/早稲田大学出版部/92823。f24022101〇古文書 村庄屋 名主 約140年間の記録資料 田方名寄帳 元文5年(1740)~明治10年迄 (1877) 井草宿 埼玉県比企郡川島町。 2・大炊御門宗氏(おおいのみかど むねうじ)の自筆の特定について 自筆の筆者は、書体、書風から京都の公卿によって書かれたものであるはわかっていたが、昭和38年以来、筆者名は特定されていなかった。清水了随纂輯『油断大敵 一名心のせめ 全』明治12年 思誠堂蔵版/うさぎ屋誠刊 狂歌集 明治時代ボール表紙本。古文書 太政官日誌 明治2年 第11号~17号 7冊まとめて。それが、技術の進歩により「宗」の下の文字が「氏」と判読された結果、南北朝時代から室町時代前期の公卿であった「大炊御門宗氏(おおいのみかど むねうじ)」であることが判明した。古文書 希少『大臣関白状』『二条政関白』室町時代 二条正嗣 肉筆 公卿 関白 太政大臣 祭り事 皇室 神事時代物唐本唐物政事古書古筆古美術。扶桑蒙求 岸鳳質 天保14年 李澣 幼学書 寺子屋 尋常小学校 世話千字文 和漢朗詠集 検) 戦前明治大正古書和書古文書写本古本 NY。宗氏は、正二位・内大臣まで昇進したのち、応永28年(1421)47歳で没している。Y3B3-240517 レア[千字文]。大森慧範『満鮮旅行録 完』昭和13年刊 神奈川県南足柄市の曹洞宗寺院「長泉院」前住職・大森慧範が満洲国・朝鮮を謳った紀行漢詩集。アメリカのコンピューターを用い、「筆者識別(Handwriting Analysis)」と呼ばれる文字解析を、花押の照合に応用し、指紋の照合方法と同じ手法により99.9パーセントの確率で特定に至ったものです。[R0419-020] 増補名物錦繍類纂 着物 デザイン 図集 明石染人 狩野秀峯 平安堂 京都。当方、先祖代々受け継がれ曽祖父蔵にて保管 毛利 古文書 書状。母は後水尾天皇皇女女二宮。けいせい恋飛脚 傾城恋飛脚 安永2年 菅専助・若竹笛躬 浄瑠璃歌舞伎 近松門左衛門 江戸時代 検) 古書和書古本和本古文書写本 NT。導水瑣言 岸田吟香自筆書寫本(二五歳) 楽善堂主人寫 安政五年春三月寫。幼名は多治丸。矢谷房子編『婦女手紙の文』明治37年文陽堂刊 明治時代和本 女性向け書簡例文集。1925年 初拓 張猛龍碑 検: 碑帖 拓本 墨拓片 原拓 漢碑刻 法帖 北魏碑 珂羅版 支那 法書道 善本 篆刻 印譜 唐本 漢籍 王羲之 石門頌 羅振玉。承応3年(1654年)12月に元服して正五位下に叙せられ、左近衛権少将となる。小堀遠州自筆書状幅 永井尚政宛。和本「毛詩鄭箋標註・詩經古註標註」全20巻合本5冊揃 天明6年(1786) 江都東山先生/訂正 中国最古の詩篇 儒教 経典 (江戸。明暦2年(1656年)に権中納言、万治元年(1658年)に権大納言となり、寛文4年(1664年)11月23日には後水尾上皇の皇女常子内親王を正室に賜った。竹久夢二木版画装『弘田龍太郎作曲 童謡小曲選集』(16冊セット=第1~16集)昭和2-7年 京文社刊。葛飾北斎絵「三七全伝南柯夢」曲亭馬琴/滝沢馬琴 著 鶴声社 明治17年 表紙裏に木版口絵入り 81丁 ☆和本読本戯作 B24yn。近衛基熙は、寛文5年(1665年)から晩年まで『基熈公記』で知られる日記を書いている | |||
HP | 近衛基熙・旧所蔵「源氏物語」自筆を出品いたしました。富岡鉄斎題字『能楽装束文様大観』彩色木版画12枚入 明治時代末に刊行された能装束作品集 お能。HH-6980 ■送料込■ 鼇頭梵和直釈 阿弥陀経図説 極楽 全2冊揃え 明治20年 仏教 木版画 絵入り 和書 本 古本 古書 古文書 /くJYら。 ツイッター「源氏物語の世界」も合わせてご覧ください。尾張志・8冊/尾張藩最初の藩撰地誌・張州府志をもとに国号・御城・郭内外市井・産物・神社・城跡・川橋・人物・寺院・古跡などを収録 ベストセラーランキングです近くの売り場の商品カスタマーレビューオススメ度 4.3点 現在、3443件のレビューが投稿されています。 |
自筆「源氏物語」の「竹河(たけかわ)」の巻は、禁裏(京都御所)において書かれたものです。薫の君15歳の正月下旬、髭黒大政大臣の正室であった玉鬘(たまかずら)の姫君の邸に薫の君や蔵人少将(夕霧の子息)が集い催馬楽の「竹河」を謡い興じていた。
自筆「源氏物語」の筆者である「大炊御門宗氏(おおいのみかどむねうじ)」は、室町時代の第103代天皇である後土御門天皇(ごつちみかどてんのう)の曽祖父です。大炊御門宗氏の長男・信宗の娘が大炊御門信子(のぶこ)であり、信子は後花園天皇の寵愛を受け准后として御所に居住し、皇子を生み後に第103代後土御門天皇として即位し、信子は生母・皇太后となる。
関白・近衛基熙(このえ もとひろ)は、後水尾院(第108代後水尾天皇)の皇女・常子内親王と結婚。綱豊は、のち第六代将軍・徳川家宣となり、熙子(ひろこ)は将軍家宣の正室となった。茶会の際、基熙が所蔵する藤原定家・自筆の「定家色紙」を持参した記録がある。(資料の記録は下記に掲示)
出品した「源氏物語」は、南北朝時代から室町時代前期の公卿であった「大炊御門宗氏(おおいのみかど むねうじ)」の自筆です。「源氏物語」には、応永五年(1398)~応永十三年(1406)までの複数の年号の記載があることから、少なくとも応永五年から8年間にわたり書かれていることがわかる。また、各巻ごとの書かれた年については不明。また、落款から、後年、近衛基熙(1648~1722)の所蔵となり、時代が下って、松平不昧公の手にわたり、正室・方子の所蔵となったものである。
大炊御門家は、平安時代末期摂政関白藤原師実の子経実・治暦4年(1068)~天承元年(1131)を祖として創立された。初代、経実の子経宗は平治の乱で平清盛方の勝利に貢献。出品した「源氏物語」の筆者・大炊御門宗氏(おおいのみかど むねうじ)は、大炊御門家13代の当主で南北朝時代から室町時代前期の公卿。備前権守、参議、権中納言、権大納言などを歴任し、応永27年(1420年)に内大臣に昇任した。炊御門宗氏・自筆「源氏物語」は、近衛基熙が研究のために収集し、のちに出雲松平家に伝わり、松平治郷の正室・方子が鑑賞していたものです。数ある自筆「源氏物語」の中で、第一級品と称される貴重な自筆です。薫の君、14歳から23歳までの恋物語。その席で玉鬘(たまかずら)の姫君は薫の君が弾く和琴の音色がなき弟の柏木の音色に似ていることに気づく。蔵人少将(夕霧の子息)はその姿を見て二人の姫君のうち姉の大君への思いを募らせていく。(八の宮の姫君とは別)二人の姫君には冷泉院(前冷泉天皇)、今上天皇、そして蔵人少将(夕霧の子息)というきらびやかな求婚者がいる。明石中宮という圧倒的な権力者の前に自分の立場が風前の灯であることを悟る。詳細な理由は下記説明欄に記載
(自筆表面の凹凸はストロボの反射によるものです。
《自筆上部の原本自筆上部に「上楼空望往来船」(楼に上りて空しく望む、往来の船)漢詩文の落款が押捺されている。》
(自筆表面の凹凸はストロボの反射によるものです。
自筆右下の下の印は、仙台藩第五代藩主・伊達吉村の正室・伊達貞子の押印《自筆上部の原本自筆上部に「上楼空望往来船」(楼に上りて空しく望む、往来の船)という漢詩文の
落款が押捺されている。この漢詩は「白楽天」中の有名な一節です。》
自筆下部の印は出雲・松江藩主・松平治郷の正室「方子(よりこ)の落款(印譜)
自筆が「古切」とされたのは江戸時代。
《「源氏物語」竹河(たけかわ)の巻》
《つゐ》・・・・てにもうち出てき(聞)こえすなりにし。さてれい(例)の、「花をみ(見)て春は
く(暮)らしつけふ(今日)よりやしけきなけきの下にまとはん」
と聞こえ給へり。
おとゝ北のかた(方)のおほ(思)す所より、せめて人の
(文責・出品者)
「原文の読み下し文」は、読みやすいように「通行訳」としております。
《「源氏物語」竹河(たけかわ)の巻》
《太政大臣の正室・玉鬘の姫君(大君・中の君)への冷泉院(前冷泉天皇)と今上天皇の求愛物語・自筆「源氏物語」「竹河」の原文》<BR>
《玉鬘の姫君の娘(大君)、冷泉院、今上帝から求婚される》
《正月下旬、薫の君、玉鬘邸を訪問し源少将(夕霧の子息)と宴を催す》
《桜の下、蔵人少将(夕霧の子息)玉鬘の二人の姫君(大君と中の君)の囲碁を隙間見る》
《大君・冷泉院(前冷泉天皇)の許に輿入れ》
《少将(蔵人少将・夕霧の子息)だけは
ひどくしょんぼりと虚けていらっしゃるものだから、
母北の方(夕霧の正室・雲井雁)は目に涙をうかべておいでになる。
このわたし自身からぜひにとお願い申したのだったら、いくらなんでも
否とはおっしゃれなかっただろうに」
などと大臣(夕霧)が仰せになる。夏に入った今日からは、繁る木陰でおろおろと嘆くことになるのでしょう」
と申しあげなさる。
なかでも、中将(大君付女房)のおもとが、
(大君付女房)「少将(蔵人少将・夕霧の子息)の、
恋への生き死にを言ったときの様子といったら、
口先だけではなくて、いかにもつらそうに見えました」
などと申しあげるので、尚侍の君(玉鬘)もいたわしいこととお思いになる。
(玉鬘)「この姫君(大君)の輿入れの御事を、邪魔だてしようとまで
考えているらしいのはとても心外なこと。》
追記・玉鬘の姫君(大君)に対し、冷泉院(前冷泉天皇)と今上天皇の二人から、入内の要請が来ており、玉鬘の姫君が迷っている場面を記しております。今上天皇の正室(皇后)は明石中宮で匂宮の母君。八の宮の姫君・中の君はのちに、今上天皇の皇子・匂宮の妻となる。
《柯根(竹河)》
“我怕冷泉上皇不,又念玉鬘尚侍不会答他,
因此和会面不曾提出求婚,
真后悔了。”
藏人少将依旧去信恨,回云:
“春犹得花貌,夏日彷徨。
就中那个中将道:“藏人少将‘生死凭君定’
的,看来不是空言,真可怜!”
尚侍也得此人可怜。この場合、落札後に正確な中国語の文字を記載した中国語訳文を交付いたします。
写真一番左下の角印が仙台藩の家紋印(竹に雀)
家紋印の上の2つの印は仙台藩第五代藩主・伊達吉村の正室(冬姫)。
冬姫は通称。左端の写真は「竹河の巻」末尾の拡大写真。
篆書体の左の二つの印は、出雲・松江藩主・松平治郷の正室「方子(よりこ)と娘・玉映の落款
写真右上の2つの印は仙台藩医・木村寿禎の落款
右端の写真上は仙台藩主(伊達家)正室一覧表の表紙。)
(出品した自筆の「断層画像写真」(竹河の巻)MRI 44―21B
自筆二つの印のうち上は、出雲・松江藩主・松平治郷の正室「方子(よりこ)」、上は娘の幾千姫(玉映)の落款。
「近衛基熙の肖像」「後西院天皇主賓の茶会の記録」
1番上の写真は、第103代後土御門天皇と曽祖父・大炊御門宗氏の系図(公家事典303頁)
2番目の写真は「額縁裏面」に表記されるラベル。明治21年初刷。。「武井武雄 刊本作品友の会 頒布記念パーティー敷紙」25枚セット 1967-1983年作 木版画多数 豆本 懐紙。元老・重臣・官僚・華族 野依秀市 秀文閣版 昭和9年11月発行 初版。新薬方鑑 リープライヒ 明治22年 医学 明治期江戸期 検)西洋医学医術蘭学漢方学薬学薬理学出産学薬剤学 戦前明治大正古書和書古本 NK。北満風土雑記/三上次男/昭和13年/歴史考古民族等諸學の研究者に歡迎されることは勿諭一般讀者も北満跋?の雄圖が勃として胸裡に湧起する。1930年代中国 看板 招牌 幌子 検索:銭荘 当舗 図譜 藝姐 廣告牌 支那 茶館 戯院 酒楼 青楼 武館 作坊 租界 銀号 煙館 書局 薬舗 老照片賭館。江戸時代 和書『磐溪小稿』 大槻清崇 紫薇園蔵 文政10年 1827年。楽翁 松平定信書幅。【洛座】明清名家書法大成 全八巻 本 初版 1993 定価 126,000円 <古本 呉昌碩 王鐸。ビンテージ 当時物 修養全集 処世常識宝典 11 大日本雄辯會講談社 昭和四年発行 中外印刷 非売品 レトロ 希少書 アンティーク 古書。続近世畸人伝■和本■全5冊揃い■落丁なし■三熊花顛■伴蒿蹊■寛政10年(1798年)刊■続近世奇人伝。f24050701〇東雅 新井白石 目録共全5冊 和装活字本 明治36年 日本語の辞書 語源解釈を主に扱う〇和本古書古文書。古文書 書簡 横山大観 書簡3通 宮坂捲雄宛 封筒付き 日本画 歴史資料 (レターパックライト発送)。f240502032〇彩色木版画 広重 富士三十六景 甲斐犬目峠 山梨県上野原市 アダチ版画研究所 昭和50年〇和本古書古文書。獨鶴(知影)著 岡崎元軌序『独鶴詩集』(全2冊揃)文政7年刊 京都光隆寺の僧知影の漢詩集 江戸時代和本 本願寺派資料。近世木活字本 渋井徳章記 近藤忠質訳『責而者艸 前編』(4冊=巻七~十)江戸時代和本 歴史随筆集 史書。書簡 小川芋銭 富取風堂宛て 古文書。軍事的に見た欧州情勢 昭15 日本外交協會秘密文書 ガリ版 旧日本軍 大日本帝國海軍太平洋戦争空軍海軍航空隊軍艦兵法戦自衛隊戦前NY。額縁は新品です。
一方、欧米では一般的には、「筆者識別(Handwriting Analysis)」と呼ばれる文字解析をコンピューターの数値によって解析しております。解析の基準となるのが「ドーバート基準」で、アメリカでは日本国内の画像データを自動的に収集、自筆の分析に際し、数値データをコンピューターで自動的に解析し「極似」した画像データによって筆者を識別する研究が進んでおります。その後、「筆者識別(Handwriting Analysis)」と呼ばれる文字解析と並行し、奥書の「宗」の字の下の文字が判読できずにいた。
「源氏物語」には、応永五年(1398)~応永十三年(1406)までの複数の年号の記載があることから、大炊御門宗氏が23歳から31歳までの間に書かれたものと推定されている。
3・自筆「源氏物語」の旧・所蔵者の特定の経緯について
近衛基熙の旧・所蔵の特定は、「花押」の写真照合技術によるものです。
4・近衛基熙(このえもとひろ)について
近衛基熙は、慶安元年(1648年)3月6日、近衛尚嗣(関白・左大臣)の長男として誕生。実母は近衛家女房(瑤林院)。父、尚嗣が早世し、尚嗣と正室女二宮の間には男子がなかったため、後水尾上皇の命により、近衛家の外にあった基熙が迎えられて上皇の保護下で育てられた。以後、摂関家の当主として累進し、翌年明暦元年(1655年)従三位に上り公卿に列せられる。寛文5年(1665年)6月、18歳で内大臣に任じられ、寛文11年(1671年)には右大臣、さらに延宝5年(1677年)に左大臣へ進み、長い時を経て元禄3年(1690年)1月に関白に昇進した。出品以外の所蔵品を紹介した出品者のホームページ「源氏物語の世界」をご覧ください。
不昧公 公卿 肉筆 保障 保証 真筆 真筆 親筆 古筆 本物保証 本物保障 室町 掛軸 掛け軸 自筆 天皇 茶道具 宗鑑 良寛 伝来 歌仙 極め 極札 極め札 鑑定